「トウマが...メンヘラ役?」

お茶を盛大に吹き出した(と言うよりも噴き出した)虎於と聞いたことの無いくらい大きな声で疑問符のついた一音を発した巳波、それに笑いを堪えてぶるぶる震えている宇都木さん。昨日の夜トウマが「明日の俺関連のニュース、絶対に笑うなよ!」と念押ししていた理由が分かった。ネットニュースのコメント欄もまだ発表されたばかりのことなのに、わりと興味を持ってくれる人が多いようで「?」のコメントで溢れていた。アイドルに興味を持ってなさそうな大人もコメントしている。「あのトウマくんが?」って。私の周りだってそうだ。

「あのトウマが?」
「あの狗丸さんが...?」
「あのトウマくんが、です」

テレビの中のイメージのトウマも普段付き合っているトウマもほぼ同じだからみんな驚いてしまうのも無理はない。戸惑いと歓喜のコメントを見ていて納得はしてしまう。

「あいつにそんな役演じ切れるのか?」
「狗丸さんは不器用な方ですから...」

そう言ってげらげら笑ってる虎於も巳波も本当にばか 四月一日に騙されるトウマと同じくらいばか 四月馬鹿。悠もそう思うだろうと虎於に言われた。さあと言葉をわざと濁してトウマにメッセージを送る、「役いいじゃん」て。トウマからは照れている王様プリンのスタンプがすぐ送られてきた。この人プリンなんて食べないのにね。
SNSを開いてトウマのニュースを拡散する。もう虎於と巳波はとっくにコメントを付けて拡散していた。だけどそのコメントはやっぱり少しばかにしているようなもので、ちょっと不愉快な気持ちになる。
十五分前に投稿されたネットニュースは既に6000個以上のハートマークが押されている。主演の俳優さんが有名なこともあるのだろうけど、ヒロインががっつりメンヘラっていう奇抜さと、結ばれちゃうっていう設定も目を引くよなあ。それに見た目も性格もメンヘラとは真逆のトウマ。そりゃあ話題にもなる。

「じゃあお先」

イヤホンを片耳にだけ入れて立ち上がる。今日はトウマの家で定例会という名の女子会だ。一緒に料理をして一緒にお風呂に入って一緒に眠る そういう日。
いつもは男衆二人にばれないようにこそこそ別々で帰るけど、今日はひとりだから堂々と歩ける。「車出しますか」と言ってくれる宇都木さんに大丈夫ですって返して事務所から出ようとドアノブに手をかける。すると巳波が寄ってきて「私も下までご一緒して良いですか」と真意の見えない笑顔で訊いてきた。後ろで虎於がトウマみたいに口笛を吹く。

「なんで?」
「コンビニに行きたいんです」

...まずいなあトウマとコンビニで待ち合わせようとしているのに。別に虎於と巳波に知られても良いのだけれど、ただせっかく二人で守ってきた秘め事だからあんまりばれたくない。

「どうして行きたいの、コンビニ」
「飲みものがなくなってしまったんです」
「事務所にも飲みものあるじゃん」
「ペットボトルで欲しいんです。移動中に飲みたいので」
「そうなんだ...」

どうしよう、待ち合わせ場所変えようかな。でもトウマは多分まもなくコンビニに着く。もしかしたらもう着いているかもしれない。とにかく今巳波とコンビニに行けば確実にはち合わせしてしまう。

「......ひと口しか飲んでないペットボトルあるけど、いる?」

ダメ元でスクールバッグからペットボトルを取り出す。甘い飲料水、絶対巳波の好みじゃないやつ。目を逸らし逸らしで見れば巳波は驚いたような顔をしていた。いらないよね、とバッグに戻そうとする。「いえ」わりと大きめの声で巳波はそれを制する。

「それ、頂きたいです」
「え?」
「ずっと飲んでみたかったんです。着色料が過剰に使われたドリンク」
「ほ、本当に?」
「はい」

巳波はわたしの手からペットボトルを取って「ありがとうございます」と笑った。巳波が喜んでくれたのなら嬉しい、わたしも自然と口角が上がる。

「じゃあね巳波、と虎於と宇都木さん」
「ふふ、下までご一緒しますよ」
「え、なんで?いいよ別に」

場の空気が一瞬凍ったのが分かる けどなんで?どうしてこのタイミングで冷えてしまったの?
ぽかんと口を開けてる虎於も宇都木さんも意味不明だ。巳波は完全に固まっている。

「...ごめん、わたしなんか変なこと言った?」

おずおず、と声を絞り出せば巳波ははっとしたように口元に手を当てて喋り始める。

「外も暗いですし」
「真夏の五時だよ?」
「何があるか分かりませんから」
「まあ、それはそうだけど...」
「だからタクシーが来るまで一緒に待ちましょう」
「いや、もうタクシー来てる」
「では下まで、」
「え、だからいいって」

巳波はまた固まる。虎於と宇都木さんは驚愕の瞳でこっちを見ている。タイミング良く電話が鳴り、出てみるとトウマからだった。「着いたよ」っていう連絡。「わかったありがとう」と電話を切る。急がなきゃ、わたしはここに居る三人に「じゃあね」と手を振ってイヤホンをもう片耳に入れつつ部屋を出た。なんだったんだろ三人とも。別に良いけど。それよりも早くトウマに会いたい、会いたい!ハンバーグをたくさん食べたいから今日はお菓子を我慢したんだ。お腹はぺこぺこ。鳴りそうな腹をさすってエレベーターが来るのを待っていると扉の閉まる音がイヤホン越しに聞こえた。

「亥清さん」

ちょっと怒ったような巳波の声、なんで?入れたばかりのイヤホンをまた抜いた。

「なに?」
「...」

不機嫌を隠さない顔に戸惑う。わたし巳波に何かしちゃったのかなあ。飲みかけのペットボトルを渡したの、やっぱり良くなかった?でも巳波喜んで受け取ってたじゃん。
エレベーターが到着してドアが開く。何も言わない巳波を置いて行くのには気が引けたが、こっちだって予定ってものがある。トウマを待たせているし一刻も早く事務所から出たかった。

「あー...巳波?わたし急いでるから」

また仕事でね エレベーターに乗ろうとすればまた少し強めの口調で名前を呼ばれる。

「だ、だからなんだよ!」
「亥清さんのことタクシーまでお送りしたいんです。純粋な私の好意で」
「え?」
「コンビニに用事なんてありません。ただあなたともう少し一緒にいたかったからついて行きたいんです。それに、やっぱり心配ですし」
「なにその言葉、新しいドラマの台詞?また明後日会えるじゃんか。一々送らなくてもいいよめんどくさいだろうし」

なんか今日の巳波過保護、そう笑って手を振り閉めるボタンと1Fボタンを押す。閉じるドアの向こうで素早く動いた両手がドアを割って入ってきた。思わず身を引くと久々に正面にある真剣な目と目が合う。ドアがゆっくり開いて、またゆっくり閉まる。静かに降下するエレベーターの空気が何時になく重い。

「あー、ありがとう。下まで一緒に来てくれて」

多分トウマだったらこう言う。好意を無下にはしないんだ、いくら自分に不利益があっても。

「.........いえ」
「ただあんまり強引にエレベーターのドア開かない方が良いよ。壊れちゃうから」

一階に着いてエレベーターから出れば巳波も一緒に出てきた。え?そのままドアは閉じる。そして上に行く。巳波はなんだかやっぱり怒っているみたいだ。

「あ、ありがとう。また明後日ね」
「タクシー来てないじゃないですか」
「ああ、別のとこだよ。でもすぐ近く...ごめん、わたし本当に時間ないから、」
「送ります」
「いいって!」
「どうして?亥清さん、いつも私についてきてっておっしゃっていたのに。最近ちょっとそっけないですよね」
「きょ、今日はっていう話で...まあでもこれからも見送りとか大丈夫。今まで付き合わせちゃってごめんね」
「いいです。そのように躾られてしまったので、あなたに」
「ごめんってば。その話もまた今度ちゃんとしよ、お礼ももっとしっかり言いたい」
「私が勝手に後ろから、」
「今日はだめ!」
「どうして」

語調強めの巳波の声、警備員のおじさんがちらちら見ている。携帯も鳴り始めて、ああトウマのことを待たせてしまっていると焦りの感情も出てきた。携帯を耳に当てあと一分でつくと大見得を切る。ダッシュ確定だ。あーもう!こういう時に誤魔化しの言葉をスムーズに言えたら良いのだけれど。

「な、」
「な?」
「内緒で会いたい人がいるの、だから......」

ばいばい 口下手だから会話がまとまらなくて嫌になる。自分は鞄を右脇に抱え込んで走る。巳波ついてこないよね、目だけで後ろを振り返った。戻れば良いのに、なぜか彼はわたしをぼんやり見ているだけだった。

なーんだ、巳波って意外と単純。夢中になっていた時は気がつかなかった。








メンタルがへらってしまうくらい恋に悩んでしまうことだって女にはある。トウマだって、あの能天気な背の高い超弩級ド美人同級生だって悩むのだ 誰だって悩む。わたしだってそうだった。けれどもうそんなのむかしのはなし。

コンビニに停まるタクシーから手を振る影が見える。煌めいた視界とともに目に飛び込むトウマの笑顔がたまらなく甘かった。

「遅くなってごめん!」
「大丈夫だよ。それよりも早く行こうぜ家!焼こうぜハンバーグ!」

失恋から立ち直った女は速いのだ、浪速のロッキーさながらに。次の運命だってもう見つけてしまった。それに向かって全力疾走するっきゃないって屈伸中。パンチ一撃ワンカウントも数える間もなく倒れてくれれば良いけど今回の相手は難易度が高過ぎる。無自覚人たらしだし恋愛中だし、オマケに彼女の恋の話をたくさん聞いてきた。まあお察しの通りトウマなんだけど。でもそんなのが気にならないくらいには無敵な心地である。

「そういえばさ、あのドラマの役。いつ声かかったの?」
「一ヶ月前かな、突然手紙とオファーが来たんだ。元々あの監督とNO_MADの時から知り合いで、何故かすげ好かれてて」
「へえ、良いじゃん」
「『いつか君主演でドラマを作りたい』って言われてたんだ。本当になんで?って感じだったし、まさか覚えていてくださってたなんて全く思わなかった」
「直接会ったりした?最近」
「会ったよ、手紙来た五日後とかに。その時相手役の俳優さんとか他の主要キャストさんとも顔合わせだったんだ。まー男の人でも女の人でも顔がちいせえの整ってるのなんのって...」
「でも虎於よりかっこ良い人いないんでしょ」

耳うちした言葉にトウマは盛大に吹き出す。運転手さんがミラー越しにわたしたちを睨んだ。わたしは気にせずトウマの腕に絡む。

「おっ、大人をからかうなよ!」
「恋に対してうぶな女の子でかわいいよトウマ」
「......冗談きついぜ勘弁してくれ!」

耳を一瞬で赤らめる横顔にチョップ あーあ、つまらない。つまらないの、でもこんなトウマを眺めているのが好きなんだわたし。もちろん恋愛的な意味で好きになってもらえたら本当に嬉しいけど。だけどトウマの大好きな相手には敵うはずがないのだ。立っている土台が違う、そもそも。生殖器の有無で決まる恋愛なんてもうそろそろ廃れてくれれば良いのに。トウマの恋愛対象の中に私の性も入って欲しい。


メンタルがへらってしまうほどではないけど、自分は狗丸トウマっていう三つばかり年が上のチームメイトに今は恋をしている。お互いの恋愛相談をしているうちに自分は恋をしているのが辛くなって、気づけばトウマのことを想うようになっていた。わたしの言葉をシルクで包むように聞いてくれたこの良い人を好きにならないはずがなかった。

程なくしてトウマの家に到着し、部屋に入った。靴をピッタリ揃えて並べて靴下のまま床を歩く。足の指含めても数え足りないくらい、もうすごくたくさんトウマの家に来ている。
手洗いうがい、制服をハンガーに掛けて着替える一連のルーティンを済ませてトウマの隣に並ぶ。わたしのルーティンにプラスしてトウマは「化粧を落とす」っていう行程があるから、いつも少しだけこうして一緒に鏡を見る機会がある。ハルもメイク落とせよと散々言われるが、トウマはわたしの年齢の時化粧真面目に落としてたとカウンターをかませばぐぬぬと黙られる。トウマの隣ではかわいく居たいわたしの照れ隠しなんだけどね本当は、これは気づかれなくて良いこと。

「トウマの服も持ってきておいたよ」
「ありがとな」
「ふふん、気が利くだろ」
「お、久々の褒められ待ちか?」
「違うし!!!」

えらいえらいとまだ少し濡れた手で頭を撫でられる。やめろと怒れば不機嫌子リスちゃんと笑われた ほんとトウマってこういうとこ狡いよね。

「あ、そうだ。今日ハンバーグどうやって食べる?」
「今日は焼くのが良い」
「鉄板で焼いてみる?一気にたくさん焼けるし」
「楽しそうじゃん、でも食べ切れるかなあ」
「そこなんだよなあ。今度ミナとトラ呼んだ時しよっか」
「それが良いと思う。洗いもの無駄に増えちゃうだけだよ」

トウマの家の鉄板はデカい。ファミリーサイズの30×40cmのやつを何故か...否、理由は分かる。それでなくてもトウマって友だち多いんだ。

「じゃあフライパンでせっせこ焼いてもらおうかな!ハルに!」
「え?わたしが焼くの?」
「ハルが焼いたの食べたいな!あと普通に俺は今日タレ作りに精を出そうって決めてたんだ」
「と、トウマ見ててくれるよね...?」
「当然!一緒にやろうぜ!」

ほんとトウマってこういうとこ!純度100パーセントの笑顔、ドキドキしてしまう。こういう笑顔向けられたらそんなつもり無くても好きになっちゃうじゃんか普通に ときめきハッカー・トウマ は今日もわたしの心臓を撃ち抜いてミッションコンプリートだ。思わず顔を赤くさせるわたしに首を傾げるトウマ、多分わたしこの人に勝てない。















あの日はハンバーグを二人で四つずつ、次の日のことなんて全く気にせずトウマが作っていた分全て食べてしまった。トウマが朝作っておいたのだという大量のサラダも平らげ、「ハンバーグもサラダも今日絶対食い切らねえだろうから明日明後日の夕飯にするつもりだったんだけど」という話を聞いて大笑いしていた。一緒に洗いものをして一緒に風呂に浸かって一緒のベッドに寝転んで一緒に映画を観て一緒に恋バナに花を咲かせて一緒に眠った。翌朝も一緒にを繰り返して、次はいつにしようかとスケジュール表を眺めて向こう三週間の泊まる日の予定を立てようとした。そうしたら意外にも泊まれる日(というよりもトウマの家に泊まった方が仕事に行きやすい日)が多くて、それ全部にトウマとの予定を入れた。今家にばあちゃんがいなくて寂しいこともあったし。そして今日もトウマと定例会。スキップしたい足を抑えて歩くのがとっても苦しい。

「悠」

唐突に呼ばれた声に振り返る。ちょっと不機嫌な顔をした虎於が立っていて、こっちこっちと手招きされた。

「どうしたの」
「お前に訊きたいこと、いや意見を求めたいことがある」
「なに」
「これから時間あるか?少しで良い」
「学校なんだけど」
「車で送る」
「やった!」
「早く出るぞ。先に行ってるからな」

虎於はもう帰り支度を済ませていてさっさと立ち去ってしまった。愛想悪いなあと思いつつ楽屋に入ると、先程の虎於と同じく雰囲気の悪い楽屋に成り下がっていた。

「...え?何、どうしたのトウマ」

空気清浄機と全く逆の働きをしているトウマとその隣に座ってトウマの肩に手を置いている巳波 胸が変な方向に痛んだが、それを気にせずトウマに駆け寄る。

「ハル...」
「ど、どうしたの本当に。さっきの撮影で嫌なことでもあった?」
「いや、俺...わからなくて......」

何が?とは言えずに巳波を見る。巳波も首を傾げて「私も分からないのですが」と言葉を続ける。

「楽屋に入った時には雰囲気がもう良くなかったんです。どうしたんですかと御堂さんに尋ねたら知らないと怒られました」
「はあ?どういうこと?」

さっきの虎於の不機嫌はトウマが原因らしい、ということは判明したが。また新たなる謎が発生してしまった、ペイチェック?

「...ごめん、ハルこれから学校だろ。巳波も仕事だし昼食ってこいよ」
「何もごめんじゃないよ。ここじゃあ話しにくい?」
「何て言ったら良いのかわからなくて...ごめん。大丈夫だから」

ちょうど良く電話が鳴って、名前も見ずに出ると虎於からだった。遅れるぞという催促の電話 お前のせいで遅れてるんだけどの言葉を飲み込み今行くと返事をした。

「トウマ、また後でね。わたし学校に行ってくる」
「亥清さん狗丸さんのこと置いて行かれるんですか?」
「トウマが大丈夫って言ったら大丈夫なの、あとわたしやることできたから。巳波とトウマ次も頑張って」

じゃあねと楽屋を出て駐車場に向かう全速力で。虎於本当に何をしてるの?巳波の話とわたしのトウマへの贔屓目から推察するにどう考えても虎於が悪い。ローファーでコンクリートを踏みしめてイライラしながら車のドアを開く。

「虎於、トウマに何言ったの」
「何も言っていない」
「嘘つき。トウマ泣きそうになってたよ」
「...知らない」

車を発進させて私の通う学校の方へ曲がる。虎於はやっぱり不機嫌な横顔で、ひと言も切り出さない。

「...はあ、ねえ虎於。相談したいことって何?」
「...」
「トウマに関係ある話?」
「最近、アイツ付き合い悪くないか」
「?そうかな」
「夜食事に誘っても、予定あるだの人のこと待たせてるだのと全く応じない」
「え、そうなんだ」
「ここ二週間は特に酷い。急いで帰らなきゃいけないんだと俺を置いてさっさと帰ってしまうんだ」
「......ん?」

〝ここ二週間〟?心当たりがありすぎる具体的な期間にもしかしてもしかしてと胸がざわめく。トウマ仕事が終わったあと、わたしのためにすぐ帰ろうとしてくれてる...?

「俺が家に送ってやると言っても断られるし...クソ、なんなんだアイツは」
「......そういうことかあ」
「何だ、何か思い当たる節でもあるのか」
「いや、別に...」

きっと自惚れではない 内心にやけが止まらないが虎於の視線を受けているとこうもときめいてばかりもいられないようだ。虎於の不機嫌の要因がまわりに回って自分のところにあるのだから。どうやら誠実に対応しないといけないらしい。

「で?虎於はそれに対して思い当たる節があったりするの」
「無い」
「まあそうだろうね」
「アイツ、俺には強いてきたのに恋人でも作ったんじゃないかと」
「はあ?!トウマが恋人なんて作るわけないじゃん!」
「そうは言ってもトウマのような華やかで見た目の良い女放っておかないだろう。現に今、そういう相手がいるようなムーヴをしているわけだし」
「いや、いないからいないから...できてたらわたしたちに絶対言う人だよトウマは」
「それでもそれに似た間柄の人間はいるんじゃないか。夜遅くまで人と会うから無理だともう二十回は断られている」

あんな年不相応な笑顔、他の奴が見たら勘違いするとぶつくさ呟く虎於の横顔に大きな既視感 嘘でしょ?

「虎於、今お前がどんなこと言ってるか自覚ある?」
「?何の自覚だ」
「......まあいいや。で?トウマになんて言っちゃったの」
「最近夜忙しいみたいだしな、と...これよりも下品で強い口調で言ってしまった。トウマは驚いて固まっていたが無視して楽屋を、」
「は?!最ッッッ低なんだけど!今すぐトウマに電話して!わたしがいるうちに!」
「う、運転中なんだが」
「いいから!携帯借りるよ顔認証!」
「パスコード良い肉だ」

重ッ!と思いながらもとんでもない胸のドキドキが頭まで届く。え、これ虎於絶対アレじゃん。「こ」から始まるアレじゃん、アレじゃん!
不思議と負の感情は抱かなかった、トウマが虎於と結ばれることになったらカタルシスなんて感じちゃって悲劇のヒロイン気取っちゃうかもと危惧した夜もあったけどそんなこと全く無さそうだ。ただただ嬉しい、トウマがずっとうだうだしていた心が報われるかもと心拍数が上がっている。

「言うことわかってるよね」
「...............ああ」

ラビチャでトウマに電話をかける。しかし全く出る気配はなく、ずっと機械音だけが車内に鳴り響いていた。虎於は顔を歪める。もう一度かけ直すと今度はすぐにもしもしと声がした。だけどそれはトウマの声ではなく巳波の声だった。

『すみません、狗丸さんが出たくないと仰るので』
「......こちらこそすまない。トウマと話しがしたい」
『お話ししたくないそうです』

巳波のぴしゃりと冷たい声、怖。虎於も緊張感のある顔をして言葉を言えないでいる。ガーディアン・巳波、絶対敵に回したくないなあと思いつつわたしは彼に声をかける。

「巳波、スピーカーにしてよ」
『亥清さん?』
「そうわたし。ねえトウマ聞こえてる?虎於がね言いたいことあるんだって」
『...聞こえてる』
「トウマ...」

ズビズビ鼻を啜る音が聞こえる。虎於はトウマの声を聞いてごめんと告げた。

「酷い言葉を言ってしまった。全く本意ではないし、お前がそんなことをする女だとも思っていない」
『お、怒ってない...?』
「怒る?何故お前に俺が怒るんだ」
『だってトラ、なんか怒ってたから』
「...トウマ、虎於がなんて言ってたか分かる?」
『夜忙しいみたいだなって言ってた...?』
『御堂さん、そんなこと仰ってたのですね。最低です』
「わ、悪かったよ本当に。心からそう思う。どうにかしてたんだあの時は」
『ですが良かったですね。狗丸さんに意味は通じてませんでしたよ』
「は?」
『と、トラが急に怒ったから俺なんかしちゃったかなって...』

デカいため息を吐いて虎於は小さい声で良かったと呟いた。ため息を吐きたかったのはトウマの方だよと横目で睨むが、目がすごく優しくてえ、虎於ってこんな顔もできるんだと関心してしまう。

「まあ、平たく言うと虎於はね、トウマと遊べなかったのが寂しかったんだって。今日遊んであげたら?虎於より大切な予定ないでしょ?」
『え?!』
「ないよね」
『い、いやあ...』
「ないね。ほら、トウマ良いって。遊んでくれるってよ」
「良いのか?!」
「虎於トウマのこと泣かせたんだから奢りなよ」

虎於は上機嫌でトウマと言葉を交わす。やれやれ手のかかる最年長だなあと座席にもたれかかった。あと学校まで十分くらい、トウマと電話を終え「トウマのああいうところもかわいいよな」とひとり呟く虎於の声にばーかと思いつつ目を閉じた 羊が一匹。















「亥清さん」

学校帰りによく寄るコンビニで今日のご褒美スイーツを吟味していたら、突然聞き慣れた声が耳に入ってくる。ぎょっとして振り返ればばちばちに変装を決めた巳波が立っていた。

「びっくりしたあ!さっきぶり、お疲れさま」
「...」
「?どうしたの」
「いえ、なんでも」

巳波は眼鏡をかけて髪をキャップの中にしまい込んでいた。マスクなんてしてないのに〝棗巳波〟かどうか、傍から見ても本当に分からないと思う。

「甘いもの召し上がられるんです?」
「うん。さっき頑張ったご褒美」
「ふふ、たしかに素晴らしい働きぶりでしたね」

御堂さんと狗丸さんにスイーツ代請求できるレベルでしたよと穏やかな声で笑われた。この人に向けていた感情が前まであった脳みその部分がこそばゆくなる。もうないんだからなくなってるんだからと自制して「でしょ?」と笑う。この人を諦めた時よりも上手く笑えた気がした。

「ていうか巳波どうしたの?今日これからこっちで仕事だっけ」
「いえ、亥清さんに会いに来たんですよ。もうそろそろコンビニに向かわれる頃かなあと思って」

...どういうこと?巳波自分が相当変なことを言ってること、気づいてる?いつも通り微笑む彼の瞳の真意はわからなかった。

「連絡ちょうだいよ、わたしがここに寄らなかったらどうしたの」
「連絡したら普通にお会いしてくれました?」
「当たり前じゃん。むしろわたしが巳波の方向かってたよ」

巳波は少し黙ってわたしを見る。ざわめき立ちそうな心臓を落ち着かせながら首を傾げてどうしたのと訊いた。なんでもありませんよと明らかに作った笑顔で返してくる。

「ここのコンビニ久々に来ました。前は亥清さんに呼ばれて良く来てましたけど」
「あーなにそういうこと?もう、今までごめんって言ったじゃんこの前。巳波にはすっごい甘えちゃってたから、」
「その時仰られていたじゃないですか。〝その話も今度しよう〟って」

エクレアを手に取ってレジへ持って行った。半セルフレジで支払い方法の選択を求められる。現金で支払おうと財布をスクールバッグから取り出そうとした。だけど巳波が交通系ICでさっさと払い、行きましょうとエクレアを持って外に出てしまう。

「ちょ、ちょっと巳波!」
「大きい声を出さないで。見られちゃいますから」

ドラマ?ってくらいちょうど良く来たタクシーを巳波は捕まえる。「行きますよ」と強気な声と裏腹に緩く取られた腕がもどかしい。強引に腕を引いてくれれば悩まないで済むのにこの人の誘いを断ること、諦めてタクシーに乗って拳五つ分間隔を空けてドアによりかかる。気の良い素振りをして巳波は運転手に住所を告げた、わたしの家の近く。送ってってくれるみたい。今日はたくさん車に乗れる日だった。エクレアを頬張り頬張り、食べ尽くした時に漸く車は動き出す。包装紙を結んでスクールバッグに詰めた。

お互い何か話すでもなく、多分車内の雰囲気を不味く思っている。少なくともわたしはそう。巳波の横顔今どんなんだろうと興味はあったが、盗み見するスキルも気合いもなかった。どうせ巳波は頬杖で外の風景を眺めているだけだ。その瞳がわたしを見留めてくれることはない。ずっとそう、いつだって優しい目線をくれるけど絶対零度なんだから。どこか巳波はわたしを拒絶している、ような気がしてならない。トウマと居る時虎於と居る時とは何か違う、鳥籠の鳥を眺めているような視線が嫌いだ。まあよっぽどのことがない限りそういうのって勘違いなんだよね。トウマなんて良い例だ。Wセンターが気に食わないからって睨むことないじゃんそんなんだから負け犬なんだよとŹOOĻが結成された当時ずっとそう思っていた、けど全然違った。多分今もそれと同じ、自分の自意識過剰だ。

段々と見慣れた場所に車が向かう、あれ?わたしの家まであと百歩くらいの、家の裏の開けた場所で車は止まった。降りるよう目で促されしどろもどろになりつつバッグを持って降りた。巳波もお金を払って車から出てくる。
家の裏とはいえ滅多に来ないところだった。最後に見かけたのも半年くらい前、駅もスーパーもコンビニもわたしの家を北に行った方が近いから。

「タクシーのお金...」
「けっこうですよ」
「じゃ、じゃあ、バイバイ?」
「亥清さん、そんなに私と居るのが嫌ですか?」
「え」
「酷いです、そんな拒絶されてしまってはどうしたら良いか分かりません」

巳波は超うつむいてしまう。少し長めの髪が巳波の顔を隠して、今この人がどんな顔をしているのか分からなくなる。でも、巳波がこんな風に弱気な姿を見せるのは春樹さんの時以来だった。人も車も通っていないけど道のど真ん中で感情を昂らせるなんて 絶対普段の巳波ならしないことだ。人から見られるリスクもあるわけだし。

「最近ずっとそうじゃないですか、どうしてです?御堂さんや狗丸さんにはそんな態度取られないのに」
「前みたいにわたしに甘えなくなっちゃいましたし全然わたしとお話ししてくれませんし」
「私のこと嫌いになっちゃったんですか、私はあなたのこと大好きなのに」

声を荒げて言う巳波にわたしはたいそう驚いた。何にってひねくれている巳波がこんな風に素直に自分の気持ちを口に出すのに、だ。これが巳波の本心かは分からないけどとびっくりしている最中に、そういえば今巳波に大好きって言われた?!とまた驚いてしまう。別にもう好きじゃない別にもう好きじゃない別にもう好きじゃないとめちゃくちゃに念じながら大慌てでわたしはねえどうしたのとかだいじょうぶとかペラペラの言葉を出し尽くしている。
巳波はずっとうつむきっぱなしでいたけどだんだん肩を震わせてきて、もしかして泣いちゃった?ってはらはらしたのに、小さく笑い声が聞こえてきた。

「......巳波?」
「あなたと長く居る私でもあなたのこと騙せるんですね、演技で」

呟くようにそう言うと、巳波は体を尚震わせて声を出さずにげらげら笑いだした。もしかしてわたし騙された?と感づいた頃にはもう遅くて、巳波の笑顔をただ見つめるだけになってしまっている。

「ちょっ...えーもうやだ本当に!」
「本気で心配してくださって嬉しかったですよ」
「心配するでしょ当たり前!!もう、超損した気持ち。わたしの純粋な心配したさっきの心拍数、返してよ」
「光栄です」
「なにが光栄だよ!」

なんとなく巳波に甘えたくなってしまう、さっきの巳波の言葉に感化されちゃったのかもわたし けっこう勇気を振り絞って言葉を絞り出す。

「...あ、」
「あ?」
「甘いもの奢ってくれなきゃ許さない、かも」

巳波は一瞬声を止めた後、また静かな爆笑を再開した。もうほんとやだ!というこの酸味の強い甘さが久々でたまらない。そこでわたしは気がつく わたしは巳波と居るこういう空間が好きで、巳波の紡ぐたまに辛くて基本わたしにだけ優しい言葉が好きだったのだ。トウマや虎於とは違った居心地の良さと、何故か落ち着く温かさをわたしは好きになった。それは今でも変わらない。
わたしは巳波のことを嫌いになりたいわけではない。ただ、自分の気持ちの整理をつけたかっただけなのだ。でもそこに巳波を拒絶する意味は無い。むしろ巳波に頼れない分トウマや四葉にべったりしちゃっていた。巳波を恋愛的な意味で好きだった時はそんなことは全くなかったことをふと思い出す。それは巳波の前でだけは気張ることがなかったからだ。トウマのことを好きな今はトウマに甘えるだけではなく、わたしも頼りになるんだから!と背伸びをしてしまっている。

「そっか」
「え?急にどうしたんです?」
「わたし巳波がいないとだめなんだ」

突然のわたしのこっぱずかしい言葉にも巳波が動ずることはない。こういう冷静な部分にわたしは憧れていて、惹かれていた。巳波は「そんな当たり前のことを急におっしゃって、どうしたんです?」と煽るように言う。

「わたしね、巳波離れしようと思ってたの。巳波にわがままばっかり言っちゃうし、たまに突きつけられるペペロンチーノな部分に一憂する自分がばかみたいで」
「ふたりきりで初めて事務所で勉強したこと覚えてる?あの時からずっと巳波に頼ってる自分が急に嫌になったの」
「だから巳波を卒業しようと思った。だけど見て、今のわたしどう?全然だめだよね、久々に巳波に甘えられる自分をこんなに喜んでる」
「ねえ、だからお願い。巳波ずっとわたしの友だちでいて、ずっとずっと巳波のままでいて」
「こっぱずかしいこと言ってるの自覚してるから掘り起こさないでね。お願い、巳波にしか甘えられないの。そう躾けられちゃったから、巳波に」

わたしの家近いし行こう、まずはコンビニでお菓子たくさん買ってさ 巳波の奢りなんだから。それで課題教えてよ。巳波に頼らないって決めてから分からない問題多くて卒業できなくなっちゃいそうなの。
照れくさ過ぎて羞恥を掻き消すために矢継ぎ早に言う言葉を巳波は聞き逃しているようだった。「ねえ聞いてるの?」服の袖を掴んでコンビニに連れて行こうとして、巳波はハッとしたようにまばたきをする。

「わたしの話ちゃんと聞いてたよね」
「はい」
「そ、じゃあ行こ。まずわたしの家に行って荷物置こう」
「待ってください」

さっきよりも角度を気にせず大きくうつむいた(というより下を向いた)巳波は呼吸すら止めて何かを考えているようだった。わたしはそれを待つ。別に何も出てこなくて良いのだ 必ず回答が来るわけではない、それは前と変わらない。たまに、自分でお考えになられてはどうです?って突き放してくるのが巳波だ。

「言いたいことは色々あるのですが」
「うん」
「あの、実はここ私の新しく借りた部屋なんです」
「え」
「本当は一か月前から移っていたのですが、なんとなく亥清さんの態度がよそよそしかったので」
「うそ、本当?」
「うそではなく本当ですね」
「なんで引っ越してきたの」
「誰かさんがおばあさまがいなくてさみしいとしょっちゅう甘えてきたからですかね、あとちょうど更新の時期でしたし」

実はわたしは七瀬陸で巳波は九条天ですって勘違いしてもおかしくないよね?わたしのために引っ越してくれたのこの人、もう無いはずの脳みそのある部分が疼く。

「巳波と近くに住んでるなんてまた超甘えちゃうじゃんもう」
「あら、お嫌です?」
「ううん、超ありがたい」
「炎上しちゃう、ってもう悩まないんですね」
「いつの話してるの!あの頃とは違うんだから」

ぺらぺらの笑顔で頭の疼きを誤魔化してはははと笑う。本心から嬉しいはずなのにうまく顔で声で表現できないのはどうしてだろう、きっとまだ羞恥心が勝っているだけだ。

「毎朝ごはん食べに行くから」
「良いですよ。早起きがんばらないと」
「...嘘だからね、そんな頼らないよ」
「その話も今からしましょう。ところで、見た目が愛らしくておいしいと噂のケーキを先程購入したのですが」
「食べるにきまってるでしょ!早く行くよ!!」

なーんだ、巳波と普通に話せるじゃんわたし いつもより少しだけ嬉しそうな巳波の顔を見上げてそう思う。
良かった、人間関係ごしゃごしゃさせないで前の恋とけじめをつけられた気がする。それだけでも今日は大きな収穫だった。トウマにちゃんと報告しなきゃ、とは思ったけど別に良いかとも思った。なんとなく今日は大事な日で、これは巳波とわたし以外に共有したくないなと思う。この人がどう思っているのかは分からないけど でも少なくともわたしはそう決めたのだ。




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2023.05.29.

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