不思議な夢をみる ここ最近の話だ

俺は妙な服に身を包んで何かを書いている。それが文字であることを自分は知覚していて、純粋にその字を達筆だと感じている 見たことのない言語であったが。辺りは強い香辛料の刺激臭が充満し少し離れた場所からは湯煮の音が聞こえる。書いた紙をそれまでと同じように隣に置かれた板の上に並べた。「随分書いたな」ハスキーな声が耳に馴染んだ。顔を上げて姿を確認したかったがそれは叶わなかった。自らの意思で動けない、キセルの甘ったるい濃ゆいにおいが鼻につく。

「集中しているんだ、話しかけるな」
「そうか。それはすまなかったな」

遠ざかる足音にどうやら自分は腹が立ったようだ。文句を呟きながら立ち上がり彼女のあとを追う。臙脂の短髪が照明に揺らされていた。






目覚めた俺は空に手を伸ばしていて何かを掴みかけていた。手の形はちょうどフードを掴むような形に似ている。彼女の後ろ姿にフードがあったことを思い出し、手を握りしめて目の上に置いた。眩しかったんだ西から差す陽が 大きな古時計が切ない音を響かせている。時刻は十七時十三分、汗ばんだ額がやけに熱かった。

蝉の声が涼しく聞こえるなんてとんだ世迷言だと思っていたが、実際はそうでなかった。無論昼と相対して気温が下がることが涼しくなる大きな要因であることは間違いないが、しかし軽い蝉の連続した羽音も涼しさを引き立てる役割をしているように思えてならない。こんな場所に思い出なんてないはずなのにノスタルジーを強く掻き立てる。

父に勧められ、今俺は田舎で生活を送っている。一応二週間と期間は決めているが。過保護過ぎる父がよくぞ俺をこんな辺境の地へと送ったものだ。ここは本当にすごい場所である、「何も無い」という言葉がこれほどまでに似合ってしまうのだから。しかし父はこの場所に絶大なる好感を寄せているらしく、しょっちゅう行きたい行きたいと話している。兄二人もやはり大学生の時に滞在したようだが特段感想は無いみたいだった。一度として彼らから話が出たことはなかったし俺も聞かなかった。おそらく何もせず現状の自分のように寝転がりぼんやりしていたのだろう。父は存外そのような時間を大切にしている。しかし俺たち三兄弟は母に似たのか暇な時間を作りたくない性質の人間であるため、このように暇を持て余した生活は逆に疲れてしまう。体を起こして背を伸ばす。小気味良い音が背中から聞こえた。



夢をみるようになったのは二週間くらい前からだったが、この夢を明確に捉えられるようになったのはここに来てからである。最初のうちは俺が女と喧嘩をしているだけの夢なのだと思っていたがどうやら違ったらしい。俺とは無関係な男と話し方が独特な女の与太話 たまに談笑をしてたまに歌ったり、会話から推察するにおそらく釣りをしていた時もあった。映像はその時は良く捉えられなかったため定かであるとは断定できないが。言葉は日本語を喋っていたわけではなかったが理解ができた。体感で十分ほどの他人体験をしているような感覚に楽しさを覚えつつ夜を心待ちにしていて、そして先程夜でなくても眠れば夢をみるのだと気づき唐突に現れた彼女の姿に心が躍った。ここに来てから今日含め三日間の夢はとてもリアリティに溢れていて自分の意思で動かせない体に歯がゆい思いをしつつもそれも乙だと感じる。

ここの地を満喫しているかと問われれば間違いなくノーと答えられるだろう。しかし夢見が良いことだけには評価ができてしまう。この地に来た効用なのかは不明だが。世話を焼いてくれるこの家屋の主人が俺に声を掛けた。「今日はお酒などお召しになりますか?」 俺は微笑んで「あれば嬉しい」と返す。ここの主人とは酒の趣味が妙に合った。まだ味なんて大して分かりもしないが自分ではそう思っている。一緒に飲むわけではないが用意される酒は俺の舌によく馴染む。



夕食まで時間があると聞いた俺は近くを歩くことにした。昨日一昨日は疲れていて殆ど動かず課題に手をつけるだけの生活をしていたため久しぶりに動かす体が気持ち良かった。風も涼しい 昼間に感じた気怠さが清算されるわけではないにせよ過ごしやすいと認めざるを得ないなと空を仰いだ。理想的な夕焼けだった、この景色は悪くないかもしれない。近くに置かれた大きな石に腰掛ける。老婆がこうしている様子を来る時に見たのだ車の中で。少しそれが羨ましかった。座り心地は意外と良い。長くは座れないだろうが。
スマートフォンを取り出し暇つぶし程度に留めようとメッセージアプリを開く。どうでも良い内容ばかりだった。返信するか迷い、結局またポケットに収める。ぼんやり闇が見える東の端を眺め何を考えるわけでもないが物思いに耽るようなことをしていた。まばたきをする度に近づく群青が俺を家へと戻るよう急かしているような気がしてならない。東京にいる時は空の色なんて気にならなかったのにな 俺は立ち上がる。元来た道へと戻って行った。

家に着いたのは六時前だったが夕食はほぼ出来上がっているようだった。匂いに釣られて腹を鳴らすと「ご飯にしましょうか」と笑われた。俺もはにかんで「頼む」と伝える。主人は台所へと足を向けた。
小ざっぱりした食事が並び主人は「お風呂も食事が終わる頃には沸いていると思います」と下がった。彼はそのまま戸から外へ出て、おそらく隣の小屋に行ったのだ。彼は俺がここにいる間そこで過ごす。生業としているから構わないとは伝えられているとはいえ若干の申し訳なさはある。還暦の小柄な男を追いやって、と。しかし本人はやはり仕事なのだろう気にしている素振りなんて微塵も見せない。
一番に目をついた鮭の炊き込みご飯に手をかける。薄味が信じられないくらい食欲を煽った。






父に使いを頼まれて二つ隣の市に向かうために電車に乗っていた。東京でも電車に乗らないのにまさかこんな田舎で乗ることになるとは思わなかった。しかも無人駅だというのだ、ここに来て一週間。もう驚くことはないだろうと高を括っていたがまだまだ未知な世界が広がっている。
切符の買い方もうろ覚えでもたついてしまったが、この電車を逃すと次来るのが三十分後だという話を聞いていたから急いで購入し階段を駆け上がりちょうど来た電車に飛び乗った。意外にも人が乗っていたし、空いているのは向かい席だけだった。別の車両に移動しようかとも考えたが面倒臭くなってそのまま目についた席に腰を下ろした。隣は四席全てが知り合いで埋まっているのであろう賑やかな席であった。それとは対照的に帽子を深く被って眠りこけている斜め前の乗客 どうやったらこんなに騒がしい中で眠れるのか。俺は目を閉じる。しかし寝過ごすわけにはいかないと思い直し目を開き、無限に続く田と森を眺めていた。隣の婦人グループはしばらく騒がしかったが二駅目で降りてしまった。二駅目からは少し都会的な風景が広がっていたがそれと比例するように乗客の数は減っていった。そうこうしているうちに周りの景色もまた田に戻り、三両編成の二両目のここには宵の公園ほどの人数も、というか俺と目の前で眠る男しか居ないような気がした。席を移動しようかとも考えたがあと三駅十五分だし良いかと組む足を逆にした。こっくりこっくり深く船を漕ぎだした男の帽子が落ちた。被っていたように見えただけでどうやらただ乗せていただけのようだった。古い映画で見かける名探偵のように。ちらと見ただけでその寝顔にあまりにも目を惹かれた。その理由は分からなかったがかなり整った顔立ちをしていた。間抜けに開いた口からは一筋唾液が垂れている。阿呆面が過ぎるだろうと内心笑いたくてたまらなかったが、赤い他人を笑うほど出来上がっていない人間ではない。短い睫毛と覗く八重歯が唾液と共に照っていてえらく滑稽だった。男は穏やかに呼吸を繰り返す。こちらが不安になるくらいには無防備だった。このまま唇を奪えそうだし、静かにしていれば気づかれなそうでもあった。俺は同性愛者ではないから男に対してそんな欲求を感じたこともなかったがそれなりの熱視線を送っても目覚めないこいつを童話のプリンセスかと軽く扱き下ろして深く座席に座り直した。この列車の座席はハードカバーの本のように硬かった。四十分も乗っていれば腰が痛くなってしまうのも必然だろう。それに関してはもう諦めていた。帰りはどうしようか タクシーを使ってみるか。なんとなく主人を呼ぶのには気が引けた。今日だって「そちらまで送りましょうか」とは言われたが遠い場所のため断ったのだ。...まあ、最寄りの駅まで八キロもあったから結局駅までは送ってもらったのだが。車を借りて自分で運転して目的の場所に行くことも考えていたのだが生憎ここにはマニュアル車しかなかった。免許は持っているもののマニュアル車をしばらく運転していないから途中でエンストを起こしてもな、とやめたのだ。
しかしそれにしても長い。十駅を東京の基準で考えていた。時間も四十分以上かかるとは聞いていたが想像はしなかった。駅に着く あと二駅で目的地の最寄り駅だ。そこから三キロ西に歩けば目的の和菓子屋である。言葉にしてしまえば簡単だったが相当面倒くさいじゃないか!素直に送ってもらえば良かったと今になって後悔の念が押し寄せる。彼から目を逸らすために見ていたネットニュースも興味をそそられるものはなかった。少しの苛立ちが芽生え踵を鳴らす。別に誰もいないし良いだろうと思った。十一、十二、十三「やべっ!」 俺は突然の大声に肩を跳ねさせた。十四の踵の音で冷静さを取り戻し肩も下ろす。目の前の男が立ち上がっていて、しきりに周りに頭を下げていた。そして座り俺にも「騒がしくしてスンマセン!」と手を合わせた。傾いた頭と同じような挙動で臙脂の髪が揺れる。パーフェクト・デジャヴ 自分はどこかでその光景を見たことがある、それは遠い最近だったか近い大昔だったか。良く思い出せない。彼は足元に落ちた帽子を拾い上げると今度こそ深く被った。そして一礼をするとスマホを確認して胸を撫で下ろすような素振りを見せた。また立ち上がって上の方にある荷物を置くスペース?から大きなボストン・バッグを取りそれを抱えて座り器用にスマホを弄り始めた。表情は良く見えなかったが口元は緩んでいた。その口から尖った歯が見える、と同時にメッセージアプリの着信音が鳴り響いた。彼は慌ててマナーモードに設定し直してまた俺の方を見て頭を下げた。

「本当に騒がしくてすいません」

キャップを取って謝られる。似ている、と思った。それが〝誰に〟なのかは分からなかったが。彼の口元にはうっすら唾液の痕が残っている。

「構わない」

そう言いながら自分の左の口元をトントンと叩いた。一瞬首を傾げた彼だったがスマホを鏡に自分の口元を映して「げ!」と声を上げた。漸く俺は笑えた。彼はパンツのポケットからハンカチを取り出し口元を拭う。その[[rb:なり > ・・]]でハンカチを持っているのかとさらに笑いが込み上げる。彼はか細くも強い声で「笑わないでくださいよ!」と顔を真っ赤にしていた。無理な話だ、だって二駅前から我慢していたんだ。笑わせてくれたって良いだろう。
電車は止まる。誰も降りず誰も乗らない。アナウンスが終わりドアが閉まる。ガタガタと騒がしく出発するこの列車に文句をつける乗客は誰もいなかった。

「その荷物、隣に置かないのか」
「あー...まあ、もしかしたら誰か座るかもしれないなって」

ハスキーで少し高い声が耳に馴染む。聞いていて心地の良い声だった。

「いなかったじゃないか、というか他に乗客はいるのか?」
「さっきの俺の謝罪がクソ恥ずかしいんですけど、あなたの他に誰もいませんよ」
「はは、謝り損だな」
「だってたくさん座席あるのにあなたが目の前に座ってるんすもん!他に誰かいんのかなって思っちゃって」

初対面だというのに随分と馴れ馴れしい男だ。しかし悪くない。彼は隣にバッグを置いて何やら財布と思わしき物を取り出した。

「どこで降りるんだ」
「次っすよ。...あ」
「なにがあ、なんだ」
「いや、まあ別に...」

少し不審な挙動をしていたものの、何故か声を潜めて「あの、超絶不躾な質問なんですけど」と言った。続けろと促すと、また彼は少し悩んでいるような雰囲気を醸した。そして意を決したように言葉を吐き出す。

「俺のこと知ってます?ってのと、おにーさん帰省?ですか?」
「見たことはあると思うが、おそらく知らない」
「......」
「なんだその顔は。ここに来た目的は和菓子屋に行くためだ、使いを頼まれたんだ」
「和菓子屋!お使い!?」

ワハハ!!と騒がしく笑う彼に「なにがおかしいんだ」と少し強い口調で言ってしまう。「すいませんすいません」と軽く謝られるがこいつはずっと派手に笑っているだけだった。失礼な男だ、質問に答えてやっただけなのに。顔を顰めると「不機嫌にならないでくださいよ!」と言われた。誰のせいだ誰の 彼は言葉を続ける。

「いや、おにいさん良い服着てるから...てっきりホストとかやってて逃げられた女の子探しに来たのかなって邪推しちゃって」
「はあ?邪推が過ぎるだろうが!」
「そしたらお使いで和菓子屋って!小学生じゃん!」

目の前の気に障る男の笑い声に混じってアナウンスが聞こえてくる。どうやらあと一分で到着するらしい。大して荷物のない俺は拗ねたわけじゃないがもう立ち上がってドアの方へ向かう。彼が俺に着いてくるという確信があった。「待ってくださいよ!」彼はデカいボストン・バッグ片手で持っている。俺は叔母の家で飼われている猫のようにそっぽを向いた。「ごめんごめん」と宥めてくるどうしようもない男は想像の十センチ以上背が低かった。165といったくらいか それにしてもえらい顔が小さい。肩幅も狭いし足もやけに細い。髪と同じ燕脂の瞳が「行きたい和菓子屋って干支って所だろ!案内しますよ!」と瞬いた。

「勝手にしろ」

無愛想に告げたつもりだったがどうやら失敗だったらしい。見上げてくる小さな顔から目が離せない なんだこれは。溌剌と言葉を紡ぐ薄い唇が毒だと思った。いやにスローに見えるこいつの一挙一動が憎らしい。

こんなことは初めてだ、エフェクトが掛かったように彼が発光して見える。チカチカして眩しい、勘弁してほしい。目が潰れてしまいそうな錯覚に陥る。太陽を見つめて乾いた昆布のような感覚 今すぐ海に飛び込みたい。

「俺トウマ、狗丸トウマ!お前は?」
「御堂虎於」
「じゃあトラな!俺のことも適当に呼んでくれ!」

よろしくなトラ!と差し出された左手に右手を返した。完全に砕かれたトウマの敬語に何の嫌悪も感じなかった。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

2022.02.13.

about

・当サイトは、女性向け二次創作小説サイトです。
・原作者様、出版社様、関連会社様とは一切無関係です。
・BL(ボーイズラブ)要素を含みます。
・小説の中には、女体化が多く含まれております。
・転載、複製、加工、及び自作発言は絶対にお止めください。