自分の学校のものとは違った色のプリーツのスカートをなびかせて、彼女はやって来た午後十時。上機嫌に自分が主題の鼻歌を口ずさんでいた大男はその姿を見留めると血相を変えて外に飛び出す。まろい頬垂れた目太めの眉褐色の肌、地味な顔立ちがあの男が現れた途端一瞬で喜びに満ちた表情になる。

「たかむらさん」

そんな形に開閉した彼女のほどよく膨れた肉感的な唇はとんでもなく魅惑的で、そこで自分は初めて自分がその女に興味を抱いたことに気がついた。
呼ばれた男は彼女の頭を鷲掴むように撫でると、バツが悪そうに頭を搔いた。何故?女の尻を追いかけてばかりの鷹村という男がどうして女の対応に躊躇を見せているのだろう。

ズカズカとジムに戻って来て、何も言わずに荷物だけ持って出て行く。その日の最後に見えた彼の横顔には煮え切らないような感情が浮かんでいた。







「絶対だめってこと分かってるの。それでも傍に居たがっちゃうから困ったものだよね、僕の性。鷹村さんが認めてくれているから良いけど、そうじゃなかったらただのストーカーだもの」

心底羨ましいと思った。偽物の人間かと思ってしまうほど心が清く純朴な少女にこう言ってもらえるなんて これは惚れたオレの贔屓目だが。リングに上がってパフォーマンスする彼を食い入るように見つめる彼女を負けじと瞳孔を開いてサングラスの奥から眺めていた。うっとりとした目線を何よりも渇望している現在も。

彼女は突然やって来て鷹村さんを、ついでにオレの心もかっ攫っていった。あの日からほぼ毎日来るようになった彼女とは、なんだかんだで距離が縮まり、なんだかんだで繋がりが芽生えつつある。日に日に垢抜けて尚綺麗になる彼女を甘く苦い顔で見つめる鷹村さんに常に疑問を抱いていた。女が自らのために努力をしている姿に対して何故そんなマイナスな感情を持ち合わせる必要があるのか。それに彼女は彼がイイ女だのなんだのと騒ぐ対象の必須要項として挙げる点を幾つもクリアしている。外見的な特徴から内面に至るまで。当人たちには決して言わないが。

全然白馬の王子には見えないが、それでも彼女は豪快で下品なこの男をその対象として見ている。理由こそ不明であるけれども。

強気に恋に落ちていく彼女の隣で自分もまた彼女に恋をしていた。オレのことなんてどこにもない彼女の瞳はもどかしいようで居心地が良かった。たまに潮のにおいをさせる彼女の遠い目を見ていると、なんだか自分が自分ではないような心地になるのだ。それは彼女の枕元に立つ自分や彼女の噛じるパッションフルーツになった自分を連想させる。彼女が触れないもの興味の無いもの、自分の存在はそれで良かった。

しかしそれでも欲求は出る。意外にもしっかりした腕を抵抗できないように押さえつけて長い髪に隠れた細い項に喰いつきたいと、オウジサマを眺める彼女の後ろ姿を見ていると思う。そんなろくでなしを見ているよりもオレと話している方がよっぽど建設的だということを証明したい 会話も数学も苦手だが。




「マニュアル通りの恋って絶対一方通行になるんだ。創作だけだよ結ばれるの」

彼女を送る帰り道、オレは努めて無口になる。彼女の聞き役に徹して、彼女が欲しているのであろう言葉を吐くだけのbotになる。しかし大抵その言葉は自分には分からないから、やっぱりただの無口のつまらない男に成り下がる。

「君と君のファンの女の子を見ていると特にそれが顕著にわかるよ」
「知るか」

同じ学校の煩わしい女共は最近、どこで聞きつけるのか練習にまで観に来るようになった。全く気にはならないが、それでも試合前の減量中や昂った状態の時に金切り声が聞こえたりすると相手を殺めてしまいたくなる それを口に出すことはしないが。

「でもね、鷹村さんに会ってから変わったんだ。それでいいって思えるようになったの」

彼女の話を聞くのは好きだ。たまにされる突拍子のない彼女の話はいつだって途端に宇宙空間に放り出されたような心地になれる。それが例え自分が対象とされていない恋愛話だったとしても。
彼女の話が無性に聞きたくなる時があった。雨の夜晴れの午後驟雨の宵 思い出したくないことを思い出してしまいそうな時。彼女の話はオレを救うし、たまに酷く傷つける。

「死ぬまで傍に居たいって思っちゃうの、初めてなんだ。この想いを大切にしたいよ」
「惚気を終着点にすんな」
「これが惚気話になれば良いんだけど」

応援しててねの声に無視を貫く。わかるよわかる君も鷹村さんのこと大好きだもんね取られたくないよねと全く見当違いな言葉に、結局オレは本音を隠して口を開いてしまうのだ。

「宮田くんって普段クールなのにたまにすっごく熱くなるよね!僕の軽いジョークくらい雑に流してよ」

彼女の言う通りその他の女にやるように適当にあしらえば良い。しかしそれができなくなるから困るのだ。コイツといると本当に調子が狂う。控えめに笑った彼女は「宮田くんは」と口を開く。

「今の僕みたいな経験したことある?そうだな...」
「自分が人魚だったとしたら泡になっても後悔ない恋」
「...僕の心読んだ?」
「お前が前に言っていた」
「ええ!いつ?」

オレは無視をする。彼女は唇を尖らせて「けち」と言って、また笑った。
この言葉はコイツがジムに来て二回目の時に青木さんと木村さんに向かって放った言葉だった。照れもせずこう大真面目に愛を言い切る人間はそうそういない。彼らはコイツを笑ったが、自分は単純にすごいと思った。尤も、彼らが笑った原因が彼女の言葉だけでなく、あの鷹村守という対象をとんでもなく美化して持ち上げていたから、ということは分かっていたが。しかしそれでもほぼ初対面の相手に自分の愛を大っぴらに表現できてしまうその腹のくくり方はボクシングと違う気張りが見えて、女にはこんな一面もあるのかと興味深く感じた。

「で、あったりする?」
「うるせえ」
「否定も肯定もしないってことはあるんだね」

そんなのわからない。オレはコイツに惹かれているが、それがどの程度のものかを今一つ推量できていない。なにせ初めてのことだし、それに叶う見込みもない。オレだって感情を持て余しているのだ。
黙りこくって立ち止まったオレを彼女は不思議そうに呼ぶ。「どうかしたの」と首を傾げる彼女になんでもないと返して、またコイツの家路を辿る。

「宮田くんってさ」

隣に並んだ彼女はちらりとオレを見上げて「とっても不思議な人だよね」と呟いた。不本意にもドスを効かせてしまった疑問符をつけた声にごめんごめん失礼な意味じゃないんだよもちろん!とコイツは謝り倒す。

「大抵の人はさ、僕みたいな芋女が好きな人がいる、みたいなことを言うと笑うのに。木村さんとか青木さんのとはまた別の意味でね、嘲笑的に笑われるんだよ。なのに君は笑わないし、僕がそういう話をしてもちゃんと聞いてくれる。僕が覚えていないようなことまで」
「...」
「だから話し過ぎちゃうんだ、いつも......ってことを言いたかっただけで」

本当に失礼な意味はないんだよと困ったように眉を歪める。コイツが嘘を吐かないことを知っているから納得もできるが心臓に悪い。

「笑う意味が分からない」
「え?」
「人を好きになるのなんて遅かれ早かれ誰だってすることだろ」
「う、うん。そうだね」
「それを笑う意味もだが、お前だからと言って特に笑われる意味も分からない」
「だからそれは」
「別にお前は普通だと思う。少なくとも芋っぽくはない。芋の基準も分からないが」

そうだ、別に普通の女なのだ。絶世の美女とか大金持ちとか、そういう女では決してない。地味な顔立ちの乳のデカいオレよりも二十センチ小さい女 それなのにオレはコイツに入れ込んでいるし、こうして隣に立っている今、あとたった数百メートルの帰路を手を取って歩きたいとさえ頭の片隅で願っている。

「初めて会った時とはまた変わってるしな。鷹村さんが雑誌見て騒いでる女と遜色ないだろ。あの人がどうしてお前のことを好かないのか分からない」

彼女は元々丸い目を一瞬さらに丸くすると、どっとその後目を細めて笑った。そこで自分は今もしかしてとんでもないことを口にしていたのではないかと気がつき始める。羞恥ばかりが浮かんでしまう脳内は自分に冷や汗をかかせる。

「君は僕のことを買いかぶり過ぎだよ」

その笑い方は青木さんと木村さんと鷹村さんのものに似ていて、余計にむかついた。しかし、どうやらコイツにはオレの羞恥は気づかれなかったようで、少しだけ安心する。

「そりゃあ鷹村さんに好かれるためにがんばってるけど、それでも全然普通以下の人間だよ」
「見てわかるでしょ?鷹村さん全然僕のこと眼中に無いんだ」
「それに鷹村さんだって未成年に手を出すほど飢えてないよ」

本当にそればかりなのだろうか そうであれば鷹村さんがあんな風な甘い顔を浮かべるはずがない。顔には苦さも浮かんでいるが、しかしただ〝好きではない〟というわけではないだろう。
単純に気になった、鷹村さんはどのような心境なのか。下品下劣愚劣なあの人がどうしてこの女に対して紳士的な一面を見せるのか。
というかこの二人はどのように知り合ったのだろう。一目惚れ、というのは有り得ない気がする。大男で髪型もやんちゃそうに見えるあの人にコイツのような大人しめの女が、と考えるのは些か腑に落ちない。

「例えばさ、興味のない女の子が宮田くんのために努力してうんとかわいくなりました!お付き合いしてください!って言ってきたらどう?」
「.........」
「それと同じだよ。自分が好きではない人からのそういう好意って良いものじゃないでしょう」
「虚しくならないのか」
「ならないよ、自分で選んだことだから」

今日も送ってくれてありがとうと律儀に彼女は頭を下げた。別に送るくらい大したことではないしトレーニングのついでだからと何度言い聞かせてもずっとコイツはこうだから、この感謝を面倒臭さも含め受け入れる。
バイバイと手を振り、彼女は引き戸を閉じる。名残惜しさを微塵も見せないさっぱりした別れに、やっぱりオレは何処か苛立ちを覚えている。


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2022.08.29.

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